ryu-zu history-1
そもそも何故ネット事業にのりだしたか?
その前に、私自身の経歴をここでお話ししていきたいと思います。
昭和37年5月31日、金龍雄、高雪子の長男として生まれる。長女の恵美子、次女の阿津子
二人の姉の次に、金龍也が生まれる。小さい時の記憶を辿ると幼稚園ぐらいしか思い出せ
ない。幼稚園は、カトリック系の聖ヨゼフ幼稚園で、優しい幼稚園の先生の顔は覚えてい
る。後、家の隣の「ノブちゃん」と幼稚園に通っている途中、誘拐されそうになった時の
男の顔も鮮明に記憶がある。誘拐されそうになった時の「のぶちゃん」の大きな叫び声
も記憶にある。のぶちゃんは、家の隣に住む、田井中順三さんの長男で「まきちゃん」の
弟で、両方優しく、素晴らしい人格は、お父さん譲りなのか、今でも私が散髪しているが
最近は、体を悪くされたいる。
小学校は、彦根市立城東小学校で、1年5組平田先生、2年2組渡邊先生から三田先生に変
わったのも記憶にある。3年3組三田先生、4年4組小山あきこ先生。5年5組6年5組は
谷口明美先生で、男の三田先生が一番好きだった。渡邊先生も優しかった。
中学の頃から記憶は鮮明にある。
1年3組吉原先生。2年2組山根先生。3年1組谷澤先生から、**先生に変わった。
彦根東中学は、今でも5年に1度同窓会があるので、ほぼ参加している
高校は、滋賀県立彦根西高等学校で、1年3組木田先生、2年1組**先生、3年3組木田
先生。
小学校から高校までの中での、葛藤、障害、敵対するものを乗り越えていったことも
これから徐々に思い出されるであろう。
ただ全てに共通の「悩み」か「不安」「恐怖」「差別」『特殊』は全て苗字の「金」
であった事は間違えない。常に名前を呼ばれるのが、嫌いであった。学校は勿論、
クラブ活動、病院、塾、スポーツ少年団。何かにつけ、名前を呼ばれる時の恐怖があり
こうして書いていても、何故か涙が溢れてくる。子供の時に刻み込まれた憎悪の感情は
現在の「今に見てろ」かどうかは、多分にあるが、それでも「国籍」や「名前」に関係
なく「優しく」してくれた、友人や先生は感謝している。今でも覚えている。
56歳を目の前にした、初老のおっさんが何故?インターネット事業を、今後の会社の
中心に持ってきたいのか、「今に見てろ」「このままでは終われない」
人生の最終章の」25年。全力疾走していかなければ、あの頃の「屈辱」を「ゼロ」
に戻したいだけである。
「過去は変えられないが、過去の意味は変えられる」盛和塾の矢崎さんの言葉は、稲盛
塾長の「利他」より、私の心を勇気付けられた言葉である。
その前に、私自身の経歴をここでお話ししていきたいと思います。
昭和37年5月31日、金龍雄、高雪子の長男として生まれる。長女の恵美子、次女の阿津子
二人の姉の次に、金龍也が生まれる。小さい時の記憶を辿ると幼稚園ぐらいしか思い出せ
ない。幼稚園は、カトリック系の聖ヨゼフ幼稚園で、優しい幼稚園の先生の顔は覚えてい
る。後、家の隣の「ノブちゃん」と幼稚園に通っている途中、誘拐されそうになった時の
男の顔も鮮明に記憶がある。誘拐されそうになった時の「のぶちゃん」の大きな叫び声
も記憶にある。のぶちゃんは、家の隣に住む、田井中順三さんの長男で「まきちゃん」の
弟で、両方優しく、素晴らしい人格は、お父さん譲りなのか、今でも私が散髪しているが
最近は、体を悪くされたいる。
小学校は、彦根市立城東小学校で、1年5組平田先生、2年2組渡邊先生から三田先生に変
わったのも記憶にある。3年3組三田先生、4年4組小山あきこ先生。5年5組6年5組は
谷口明美先生で、男の三田先生が一番好きだった。渡邊先生も優しかった。
中学の頃から記憶は鮮明にある。
1年3組吉原先生。2年2組山根先生。3年1組谷澤先生から、**先生に変わった。
彦根東中学は、今でも5年に1度同窓会があるので、ほぼ参加している
高校は、滋賀県立彦根西高等学校で、1年3組木田先生、2年1組**先生、3年3組木田
先生。
小学校から高校までの中での、葛藤、障害、敵対するものを乗り越えていったことも
これから徐々に思い出されるであろう。
ただ全てに共通の「悩み」か「不安」「恐怖」「差別」『特殊』は全て苗字の「金」
であった事は間違えない。常に名前を呼ばれるのが、嫌いであった。学校は勿論、
クラブ活動、病院、塾、スポーツ少年団。何かにつけ、名前を呼ばれる時の恐怖があり
こうして書いていても、何故か涙が溢れてくる。子供の時に刻み込まれた憎悪の感情は
現在の「今に見てろ」かどうかは、多分にあるが、それでも「国籍」や「名前」に関係
なく「優しく」してくれた、友人や先生は感謝している。今でも覚えている。
56歳を目の前にした、初老のおっさんが何故?インターネット事業を、今後の会社の
中心に持ってきたいのか、「今に見てろ」「このままでは終われない」
人生の最終章の」25年。全力疾走していかなければ、あの頃の「屈辱」を「ゼロ」
に戻したいだけである。
「過去は変えられないが、過去の意味は変えられる」盛和塾の矢崎さんの言葉は、稲盛
塾長の「利他」より、私の心を勇気付けられた言葉である。
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